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『ドイツ語コム』番外編 >ウェブマスタの独りごと、いま<
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「20世紀の落とし物」へ
『ドイツ語コム』最長不倒の無更新ページ、2年10ヶ月ぶりの更新再開です。再開するときには、このコーナーを大改造しようと思っていました。けれども、2年10ヶ月前のスタイルに繋げることにしました。その間、ウエブマスタはなにも変わっていないからです。ただ今度はしばらくこのコーナーとともに生きてみようと考えています。 (5./Okt./02)
箕面の「モアイ」(1)
(5./Nov./02)
私の住む団地は里山に抱かれています。里山というには立派すぎる山ですが。その山への登山口をしばらく行くと、私が勝手に箕面の「モアイ」と呼んでいるこの巨石が立っています。みなさんもイースター島のモアイ像に見えますよね。
いつ見ても、おーっと声を出してしまう威圧感があります。木陰から突然ヌーッと姿を現すので、とくにそう思うのかもしれません。どのくらいの大きさか? 写真の下に小さく写っている説明書きの板を見てください。これは幅が50センチほどです。ですから箕面の「モアイ」は、高さ20メートルはありそうです。この「モアイ」像をのぞいて、周りには似たような巨石はありません。山に向かって谷筋の登山道が続いているだけです。
さてその説明書きには、この岩が「医王岩」または「名薬師」と呼ばれていたと書かれています。見た目の印象と一致しない名前です。またこの地が「大己貴・小彦名の二神生まれた地か」との文献があるとも書かれています。これも聞いたことのない名前です。
箕面の「モアイ」に関する謎は、私には2点に集約されます。1)この「モアイ」像は自然にできたものなのか、それとも人が作ったものなのか。2)「モアイ」像はなぜ「医王岩」と呼ばれるのか。2番目の問には、いったいいつの時代に、どんな人々が、どんな目的この巨石に向かい合ったのか、という問が含まれています。
下の写真は左から、「モアイ」に向かう道を少し入ったところ、「モアイ」の足ものと説明書き、山を下りて里に出たところ、溜池が何段にも続いています。その向こうは大阪の街並みです。不定期にこの「モアイ」の謎を追っていこうと思っています。
変わってしまった「札幌」へ
(5./Okt./02)
高校のときの担任は変わった人だった。化学の先生なのに、ホームルームの時間に、よく文学の話をした。その先生が言ったことある。
「クラーク博士の "Boys be ambitious !" これは『少年よ大志を抱け』と訳されるね。 だけど ambitious という単語はもっと強烈なニュアンスがあるんだ。ぼくが訳すなら『少年は野心を持て!』だね」
ウエブマスタは「北海道」に特別な思いを持っていた。特に青春のある時期住んでいた「札幌」には。わずか半年しかいなかったけれども、その後の人生を決めた街だと思っていた。いまその街を括弧に括ったり、「だった」と過去形で書くのは、今年の夏久しぶりに札幌に滞在したときの印象による。「札幌」は変わっていた。違う街になっていた。
レンタカーで札幌の街に入ったときから、すでにいやな気持ちにだった。渋滞する道路に見えるのは、日本のどの大都会とも同じ眺め。どこでも見かけるチェーン店の大店舗。たとえそれらがいくつ続いていても、この街だけは違う街であるはずだった。これまでいつもそうであったように、他のどことも違う空気が感じられる街であってほしかった。
滞在中は失望の連続だった。クラーク博士の銅像の向こうに見える札幌ドームも、新しくなった時計台も、何か違うのだ。夕食に入った居酒屋のルイベは、長く冷凍したあとのカスカスの食感がした。札幌のホテルの料金は、いま日本中で一番高いのではないか。ぼやいても仕方ない。おそらく、根本的に変わったのは、「札幌」ではなくて、自分なのだと分かっている。けれどもこの街にずっと恋していたことにはまちがいない。その相手が変わってしまったと思うことは、どうしたって辛いことだ。
(思いかけずこの文章を読んだ人から「自分の生まれ育った街に対する侮辱ではないか」というメールをいただいた。よく読んでいただければ分かるように、私が書きたかったのは「時間の経過で変わってしまった自分」であり、私は失望こそすれ、まだ(そしておそらく生涯)札幌が好きである。なお「宿泊料云々」については時期も場所も変わればそれぞれだろうから、宿泊予定者はもっと信頼できるソースをご参照あれ。(5.May 2005)
(このページの最新更新日: 5. May 2005)
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